今天要和大家分享的
是一家很特別的電影公司
台灣聯通科技公司
http://www.taiwanesevoice.net/

因為接了他們的翻譯案子
而開始接觸他們的電影

先不論他們拍攝的手法,質感,還有一些導演的素質
AK在翻譯期間,其實還蠻感動的
因為,蠻能體會他們想要保存台灣文化的用心

今天,AK在這裡和小小推荐一下這部紀錄片

Viva Tonal 跳舞時代
http://www.taiwanesevoice.net/viva/content.html
((本文純為推荐文,如果版權問題,請跟我說一下))))

簡介如下:

日文翻譯部份是AK和朝日合作的成果
想到那陣子,為了這幾部影展宣傳片
害AK都沒睡好
不過,現在想想,也是蠻特別的經驗啦))))


跳舞時代:

((本文轉PO自官網及DM))))) 

 

 

 

導演/ 郭珍弟、簡偉斯

 

 

Viva Tonal 跳舞時代》跳脫統治者與被殖民者的角度,以台語流行歌開場,跟著曾經紅極一時的歌手愛愛阿嬤,回到歷史現場。二十世紀初日本殖民時期的台灣,年輕男女隨著受到歐美及日本歌曲影響的流行歌節奏翩翩起舞,跳起華爾滋、狐步舞,追求他們嚮往的「維新世界,自由戀愛」。《Viva Tonal 跳舞時代》用珍貴原版唱片原音重現那個充滿創新與夢想的時代風情。古倫美亞唱片公司象徵了一個文化思潮多元開放的時代契機。柏野正次郎不斷探訪採集台灣民間各種類型的音樂,為古倫美亞開拓全方位的音樂市場,同時也促成了台語流行歌曲第一波的黃金時代。作詞家陳君玉在文學創作與台灣文化運動之中默默耕耘,並將藝文人士帶入流行歌曲的創作領域。歌手純純用她善感滄桑的歌聲,唱出了當時女性對愛情與自我的勇敢追求。陳君玉情感含蓄怯於表達,對純純的戀慕之情,只能默默付出關懷。陳君玉對〝祖國〞(中國)認同,相對於純純對日本內地〝文明開化〞的嚮往,造成兩人之間若有似無的感情。兩人呈現出當時台灣人在文化認同上普遍的矛情緒。二次大戰終戰前的一顆炸彈,將台北古倫美亞唱片公司夷為平地,柏野正次郎抱憾返回日本,古倫美亞的歌手、詞曲作家、員工們,死的死,離的離,獨留陳君玉面對蕭條封閉的戰後時局,鬱鬱以終。三O年代音樂人的笑與淚,縈迴交織在創作者的追尋歷程中,他們感嘆當年台灣文化多元開放的契機一旦熄滅,居然等到幾十年後才在台灣社會重新點燃。在追索音樂文化歷史的過程中,他們似乎找到了創作的新動力,然而探索的旅程仍將持續...

 

 

 

プロデューサー / 郭珍弟(カクチンテ)、簡偉斯(カンイス)

 ビバ トナル  ダンス時代》は支配者と被植民者間とは全く違う観点から、台湾語の流行歌と共にかつての人気歌手、愛愛と当時を振り返る映画です。20世紀初期、日本の植民地である台湾では若者が欧米と日本の流行歌に影響され、ワルツやフォックスダンスの踊りに乗せ維新世界、自由恋愛を追い求めた。ビバ トナル  ダンス時代》とは貴重な原版レコードを当時の音のまま使用することで満ち溢れた創造物と理想時代風景を表現した映画である。コロンビアレコードは一つの文化を多元化するきっかけを創り出した。柏野正治郎は何度もの台湾訪問によりあらゆる音楽市場を開拓すると同時に台湾流行歌の黄金時代を促成させた。作詞家の陳君玉(チンクンギョク)は文学創作と台湾文化運動の最中、ひそかに芸術文化人を流行歌の創造区域まで率いた。歌手の純純はセンチメンタルな歌声で当時の女性自身の愛情と勇気を表現した。陳君玉は純純へひそかな思いを寄せていた。陳君玉は祖国(中国)への思いとは逆に純純は日本の文明開化に憧れ二人の間にある複雑な感情が生まれた。二人は当時の文化に対する台湾人の矛盾感を表現した。第2次世界大戦終戦直前に一発のミサイルが台北コロンビアレコードを襲った。その後柏野正治郎遺憾な気持ちで日本へ帰国した。コロンビアレコードに所属している歌手、作詞、作曲家、そしてスタッフの中で亡くなった者いれば離れ離れになった者もいる。残された陳君玉は戦後の厳しい状況に耐えられず鬱病のため亡くなった。30年代のミュージシャンが追い求める過程には笑いそして涙もある。彼らが遺憾に思っているのは台湾の多元文化への開放機会が失われたことである。しかも、その台湾社会に再現できるのは何十年後である。音楽文化の歴史を追求する過程で彼らは何と新たな想像力を生み出した。しかし、この追求は限りなく続く...

 

 

 

 

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